こんにちは! 習慣化トレーナー田村です。
今日は素晴らしい満月ですね。ピンクムーンというらしいですが、とても癒されます。
本日は、「雑阿含経」という初期仏教経典から、4人の妻という話についてご紹介します。
昔、4人の妻を持った男がいました。
男は、第1の妻を溺愛し、常に寝食を共にして、暑さ寒さに気を配り、一度も争うことがありませんでした。第2の妻は、常にその存在を確認し、これと会えば喜び、離れれば悲しむという間柄、第3の妻は、時に会っては喜びと悲しみを分かち合う間柄でした。第4の妻は、常に男に仕え、何事にも男につき従い、良く働くのですが、男はこの妻には見向きもしないといった風でした。
さて、男は遠くに旅立つこととなったため、まず第1の妻を呼んで一緒に旅についてきてくれないかと頼みましたが、あっさり断られました。次に第2の妻にも共に来てくれるように頼みましたが、「第1夫人がついていかないのに、私が行けるわけない」と、これまた断られました。やむなく、第3夫人に頼んだものの、村はずれまではついていけるものの、その先は勝手に行ってくれと言われてしまう始末。
そこで仕方なく、日ごろ見向きもしなかった第4夫人に頼んだところ、是非お供しますと二つ返事で答えてくれました。
4人の妻を持った男は、結局、最も愛した3人の妻からは愛想をつかされてしまい、仕方なく日ごろから邪険にしていた4人目の妻を連れて遠くに旅立ったのでした。。
この話、一種のたとえ話なのですが、鋭い人は既に分かっているかもしれません。
第1の妻とは、自分の身体のことを指し、第2の妻はお金のこと、第3の妻は肉親友人のこと、そして第4の妻は自分の心を指し、遠くに旅立つとは、この世からあの世への旅立ちを意味しています。
この男のように、我々は肉体やお金、友人知人など、日ごろから物質的なものに目を向け、執着し、何とか思うままにしたいと願うものですが、一番大切なものであるはずの自分の心をおろそかにしがちです。
死後の世界があるのか私にはわかりませんが、コロナ禍の状況のように、今までの価値観が180°変わってしまうような出来事が起き、世界が大きく変わってしまったとしても、自分の心だけは自分を裏切ることはないでしょう。
日々の生活の中においては、ついつい物質的なものに目が行きがちとなってしまうのは、仕方がないことではありますが、常に自分と共にある第4の妻(夫)のことを思い、労わる時間を持つことを大切にしたいですね。
今日はここまで(^^)/
また明日~。
継続日数 31日