こんにちは! 習慣化トレーナー田村です。
6月に入り気温も上昇して暑い日も増えてきましたね。そろそろ梅雨の時期でもあります。うちの庭には気温の上昇と共に元気よく草が生えてきて、最近の週末は庭の草取りが習慣となっております。
本日は禅語「時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)」についてお話ししたいと思います。
これは、中国の禅僧である神秀(605~706)の偈の一部です。
「身は是れ菩提樹 心は明鏡の如し 時時に勤めて払拭し 塵埃を惹かしむ莫れ」
人は仏の心を備えているが、心は鏡のようなもので、すぐに塵や埃で鏡は汚れてしまう。塵や埃がたまらないように、日々心の掃除を忘れないようにしなければならない、という意味となります。
祖父の後ろ姿
冒頭の草取りに戻りますが、除草剤を使えば手間もかからずに綺麗な状態を保てるのですが、わざわざ草取りをしているのは子供がまだ小さいので少し心配なのと、自分が子供の頃、よく眺めていた祖父の背中が思い出されることもその理由です。
実家の寺ではよく家族皆で境内の草取りをしたものですが、特に祖父は毎日率先して、暑い日も寒い日も変わらず草取りや掃除を欠かさず、その黙々と勤める後姿が子供心ながら鮮明に記憶に残っています。
「時時勤払拭」という言葉を当時の私は知りませんでしたが、黙々と境内の整備に取り組む祖父の姿をみて、一種の畏怖のような、憧れのような気持ちを子供ながらに感じていたものでした。
日々の塵埃を払う
我々は日々の生活の中で、比較的穏やかに過ごせたなという日であっても、様々な感情の起伏は発生しており、ちょっとしたトラブルが起きようものなら、感情は嵐の海に投げ出された帆船のごとく上下に揺さぶられ、他人に、そして自分に対して負の感情がむくむくと湧き上がってくるものです。
そうした日々の心の塵や埃は、自分でも気が付かないうちに高々と積りに積もって、下手をすると手の施しようがない状態に陥り、心がその重みに押しつぶされて、散り散りになってしまうことも往々にしておきがちです。
目に見えない心の埃だからこそ、定期的な払拭を行うことで、心の汚れを洗い流すということが大切になりますが、その手段として掃除は最適です。
忙しない現代人ですので、毎日は難しいかもしれませんが、ストレスや負の感情がたまっているなと感じた時は、家の掃除や棚の整理、庭の清掃等に心を集中させ、心の汚れも一緒に払い落とすイメージで取り組むと、掃除後に綺麗になったその場所を眺めることで達成感を得ることが出来、また、掃除前と比べて何だか心も軽くなっていることにもが付くのではないでしょうか。
是非、定期的な掃除により、心の汚れを払い落とし、まっさらな気持ちで日々を迎えることを習慣としてみてください。
本日はここまで(^^)/
最後までお読みいただきありがとうございました。