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禅語:電光影裏春風を斬る

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こんにちは! 習慣化トレーナー田村です。

 

なんだか外は雨の気配。遠くで雷鳴も轟いています。そんな時、思い出される言葉が、「電光影裏春風(でんこうえいりしゅんぷう)を斬る」です。

 

この言葉のもともとの由来は、1200年代、中国の南宋で生まれた無学祖元の言葉です。1275年、フビライ・ハンの蒙古軍が、南宋を襲撃し、無学祖元が住職を務める温州能仁寺もその蒙古軍の軍勢に取り囲まれてしまいました。

他の僧が逃げ惑う中、無学祖元は蒙古軍の兵隊が迫る中、座禅を組んでどっかりと座り込んでいます。蒙古軍の兵士が大きな刀を振り上げ、「坊主、立て!」と無学祖元に怒鳴ります。その時、無学祖元は立ち上がると、「電光影裏春風を斬る」と句を唱え、それを聞いて祖元の禅境の高さを感じた蒙古兵は、振り上げた大剣を収めて、退散したということです。

※無学祖元は後に日本に渡り、鎌倉の円覚寺を開山して日本の禅宗にも大きな影響を与えた人物です。

 

「電光」とは「電光石火」という言葉でも使用されているように、空に輝く稲妻のごとき一瞬の閃きのことを指し、「春風」とは春に吹く穏やかでふわりとした風のことです。まったく逆のような意味を持つ言葉ですが、無学祖元の生死の境地を一言で表した強烈な言葉です。

兵士の持つ大刀の一撃はまさに電光のごとき一撃でありますが、その電光が貫く祖元の魂はふんわりした春の風のごとし。強烈な電光に貫かれようとも、春の風は穏やかで、一切影響は受けない。全く効果がないという生死の境地を表しています。

 

我々の生活に目を向けてみると、無学祖元のように、首元に大剣を突き立てられるということは、そう簡単にあるものではありません。

ただ、まさに雷光のごとき強烈で避けがたい不運な出来事や、人からの悪意といったものは、我々の生活の中にも往々にして出会う場面があります。その雷光にさらされた時、我々も無学祖元のように春の風のごとく、その一撃を受け流すことはできるでしょうか?

 

春風の境地に至るには、やはり、自らの目標をしっかり定め、その目標に向けてできることをただひたすらに一歩一歩進めていくことが大切だと思います。その結果として自分に対する自信・信念が醸成され、突然の人生における雷光に出会ったとしても、春風のごとく受け流し、周りに豊かさと幸せを運べる存在となれるのではないでしょうか。

 

今日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました。

また明日~。

 

継続日数:21日