こんにちは! 習慣トレーナー田村です。
段々暖かい日が増えてきて、春の訪れを感じますね。
普段は習慣についてブログを書いておりますが、私の習慣の一つでもある座禅から、仏教の禅の言葉にも興味を持っており、禅の精神についても皆様に紹介して行けたらと考えております。
禅の精神と習慣にも共通点が多いのですよ。
「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」
この言葉は、よくお寺の玄関やトイレに掲示されていることが多いと思われますが、意味は「足元を見よ!」です。靴や履物を揃えなさいという意味で使われることが多いですね。靴や履物を揃えると、自分の心を整えることにもつながりますし、綺麗に並べられた靴を見ると、見る側もすっとして心地いいものですよね。
この言葉に似た言葉で「看却下」という言葉もありますが、同じ意味ですね。ただ、この言葉には面白い話があります。
昔、中国に法演という禅僧がいて、3人の弟子を連れて寺に帰ろうとしていました。周囲はだんだん暗くなってきて、弟子の一人が灯りをつけて歩いていたところ、ひゅーと風が吹いて、灯りが消えてしまいました。
周囲は真暗闇となってしまった。その時、法演は3人の弟子に問いかけをします。
「暗い夜道を歩くためには灯りが必要だ。その灯りが消えてしまったが、この暗闇の中でどうすればよいか、お前たちさあ言え!」
3人のうちの1人、円悟が「看却下」と答えて、法演は「そこだその通り!」と喜んだそうです。
一種の禅問答ではありますが、ここで法演が問いかける「暗闇」は、周囲の闇ではなく、人の人生としても解釈ができます。
我々は生きていく上において、何かしらの信念または希望という光を頼りに、日々の生活を行っていますよね。その光が消えてしまったら? はてどうしたらよいか。
多くの人は、驚き、悲しんで足を止めてしまうのではないでしょうか。
光が消えた時は、まずは自分の足元を見なさい。まさに当たり前のことを答えているわけですが、その意味は日々の自分の生活を一歩一歩確実に大切にしていこうという意味で解釈できます。
我々の人生も、ついつい灯りを頼りに生きたくなりますが、一番大切なことは、人によりその歩幅は違うといえども、自分の足で確実に一歩足を踏み出していくことですよね。
さあ、今日も一歩、前進して行こうではありませんか。
今日はここまで(^^)/
また明日~。
継続日数8日(22年3月19日)