習慣化トレーナー田村のZEN-Habits

あなたの習慣づくりをお手伝いさせてください!

穏やかに生きる「でなくてもいいか!」の習慣

こんにちは! 習慣化トレーナー田村です。

 

本日は、穏やかに生きるための「でなくてもいいか!」の習慣についてお話したいと思います。

 

皆さんは誰かに期待をしていたにもかかわらず、その期待を裏切られたと感じた経験はありますか?

私は最近、努力して取組んできたプロジェクトをあと一歩で結果が出るというところまで持って行ったにもかかわらず、急に担当を外されてしまい、怒り心頭となっておりました。ただ、そんな時、ふと、次の達磨さんの話を思い出しましたのでご紹介します。

 

 

縁起物でよく売られている達磨さんですが、本名?は円覚大師菩提達磨大和尚という仏教界のスーパースターです。達磨大師はインドの香至の国の王子に生まれ、出家し、長年厳しい修行に励んだ結果、悟りを開き、西暦537年に禅を伝えるため中国に渡ります。当時中国を支配していた南朝の梁(りょう)の武帝は、達磨大師が近隣にいることを聞きつけて、都に招いて尋ねました。

「私は深く仏教に帰依し、多数の寺を建て、写経をし、たくさんの僧侶を供養してきた。これにはどれ程の功徳があるのか。」

すると達磨大師はそっけなく、「無功徳」と答えたのです。当然自分は大きな功徳があるだろうを期待していた武帝はびっくりしたでしょうね。

 

我々は往々にして、「であって当たり前」という感情を抱いてしまうことが多々あります。

例えば、「恋人の誕生日にサプライズでお祝いした、だから自分の誕生日も当然盛大に祝ってくれるだろう」とか、「これだけ仕事で尽くした、だから上司から当然評価されるだろう」といった気持ちを持ってしまいがちです。

ただ、そう思っていたにもかかわらず、恋人から祝ってもらえなかった、上司から評価されなかったとなると、大きな失望と相手への怒りの感情が渦巻き、あわや大爆発なんて事態にもなりかねません。

 

誕生日を祝おうとした気持ち、仕事に尽くそうとした気持ち、その最初の行動は相手からの見返りを求めるような打算的な感情は無く、純粋な気持ちとしての行動であったはずです。

相手に期待してしまう気持ちは人として当然の感情ではありますが、他人は自分ではなく、勝手な期待は風が吹けば崩れ去る砂の城のような儚い存在といえるでしょう。

 

勝手な期待に自分の気分を浮き沈みさせるのではなく、その最初の純粋な気持ちを思い出し、「でなくてもいいか!」と思えるなら、より穏やかで豊かな生き方をすることができるのではないでしょうか。

 

今日はここまで(^^)/

最後までお読みいただきありがとうございました。

また明日~。

 

継続日数:24日