こんにちは! 習慣化トレーナー田村です。
本日は、「いただきます」の習慣についてお話をしたいと思います。
皆さんは最近、食事の前後で「いただきます」「ごちそうさま」を言っているでしょうか。
私の子供の頃は、親から食事の前には「いただきます」、終わった時は「ごちそうさま」と言いなさいと厳しく言われたものでした。
ただ、一人暮らしを始めると、一人で食事をすることや外食が圧倒的に多くなり、そんな食事の前の挨拶などはなんだか気恥ずかしくもあったことから、すっかり言わなくなってしまいました。
「いただきます」のもともとの意味は、神にに供えしたものを食べるときや、位の高い方から褒美を受取るときに、頂(いただき。頭の上)にかかげたことから、「食べる」「もらう」の謙譲語として使われるようになりました。そこからさらに仏教の影響をうけ、「食べ物への感謝」という意味が加わりました。
言葉としてはかなり古くからあるものの、現代のように日常的に使われるようになったのは昭和初期らしく、ここ100年程度のことのようです。
禅宗においても、食事の前の作法が定められており、「五観の偈(ごかんのげ)」というお経を唱えます。
「一つには、功の多少を図り、彼の来所をはかる(この食事は多くの方のおかげでさまざまなところから届けられたものであり、そのことに感謝をする)」
「二つには、己の徳業の全欠をはかって供に応ず(日頃の行いが、この食事にいただくのにふさわしいのか、顧みて食事をいただく)」
「三つには、心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす(この食事をいただくことで、心を正しくし、過ちから離れるため、むさぼりの心をおこさないようにする)」
「四つには、正に良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり(体の衰えを防ぐこの食事を己の良薬だと思っていただく)」
「五つには、成道の為に今この食を受く(仏に近づくための修行としてこの食事をいただく)」
我々は、ともすると、お金を払って買ったものなんだから何でわざわざ感謝する必要があるのかとも思ってしまいがちです。
私たちは日々食べることで命を養ってはいますが、その食べるものは他のものの命に他なりません。他の命を犠牲にしながら生きながらえていること、その食事の食材や生産者、製造、流通といったその来歴に思いはせることによって、無事に食事ができていることへの感謝の気持ちが自然と湧いてくるのではないかと思います。
家族と食事を囲むようになり、改めて「いただきます」「ごちそうさま」の大切さにふと気づかされました。日常生活の中で、「感謝」、「謙虚さ」を養っていけるような習慣を大切にしていきたいものですね。
本日はここまで(^^)/
最後までお読みいただきありがとうございます。
また明日~。
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